主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、
あなたの真実は大きい。
哀歌3章22節,23節
新しい年、2025年を迎えました。新しく昇った太陽に、いつもと違う輝きを覚えました。何か新しいことを始めようとされている方もおられるでしょうか。新しい年、新しい朝が与えられました。5日経った今朝も、新しい朝がやってきました。聖書に、その朝、新しく与えられるものが書かれています。それは、主のいつくしみとあわれみです。神さまが私たちを愛し、いつくしんでくださっています。神さまは、私たちを守り、あわれんでくださっています。これは、過去のことではありません。今も朝ごとに新しく与えられています。なぜならば、神さまの真実が大きいからです。「大きい」という言葉は、哀歌のほかの箇所にも出てきます。その多くは、苦しみが大きいことを表しています。哀歌は、嘆きの歌です。大きな苦しみと悲しみがあります。しかし、それらを覆うかのように、神さまの大きな真実があるのです。
「夢見人 ~ドリーマー~」という賛美の中に、「悲しみや痛みを抱えては、何かを諦めてたけど、主の真実が、主のあわれみが、今私を変えていく」という歌詞があります。悲しみや痛みの中に、変わらない主の真実とあわれみがあるのです。この賛美は、「明日がたとえ見えない夜も」と続きます。
明日がたとえ見えない夜も
みことばの約束を握って歩こう
夢を見ようあなたと生きるこの道は
約束の未来へ続いてる
明日がたとえ見えない夜があったとしても、その先に主が新しく朝を与えてくださいます。その朝には、主の真実によっていつくしみとあわれみがあります。