(4)カイサルのものはカイサルに
「私のものは私のもの、お前のものも私のもの」そんな言葉が流行ったことがありました。これは日常的に使われているというよりは、聞いてはいるがよく意味が分からないというみ言葉なのではないかと思います。マタイ22:17―22(ルカ20:22-26)にあるみ言葉です。
イエス様を試そうと(陥れようと)してパリサイ人らの回し者が来て、イエス様に問いかけます。「カイザルに税金を納めていいでしょうか、いけないでしょうか」。 カイザルはローマ皇帝のことです。ジュリアス・シーザーという名前を知っていますよね。ユリウス・カイザルのことで、もともとは姓だったのですが、それが称号となりました。イエス様の時代の皇帝は、アウグスト(ルカ2:1)、テベリオ(ルカ3:1)の名前があげられていますが、ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、属国の民として税金を納めていました。もちろん自分の国にも税金を納めていましたから、民は二重の税金に苦しむことになりました。取税人が決められた額より多く徴収して私腹を肥やす、ということも横行していました。だから取税人は民に嫌われていたのですが。
ユダヤ人は「選民」意識の高い民族で、主(しゅ)以外を神と拝まない、一筋縄ではいかない人たちなのですが、ローマの支配を決して歓迎しない派と迎合する派がいたようです。この回し者の質問にはそれを背景にした悪意と巧妙さがあります。「いい」と言えば皇帝に追従したとみなされ、「ダメ」と言えば反逆者とみなされる、どちらを答えても言葉尻をとらえられてしまうのです。
さて、何と答えるかな。イエスよ、おまえはこれでおしまいだ。とほくそ笑みながら答えを待っていた人に、イエス様はこう答えられました。「デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、だれの記号か」。彼らは「カイザルのです」と答えました。その後に続いたイエス様の言葉は、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。ガ~ン 負けた。完敗だ。
彼らはその答えに驚嘆して黙るしかなかったのでした。お見事です。イエス様は言葉の罠にはまらなかっただけでなく、道理も説かれました。
私たちは神の国の国民です。すべてのものをお返しするのは神様にのみです。しかし、この世にあっては地に住む者としての義務や責任があるのです。その両方を混同しないで遂行しなさい。
《魚の口の中のスタテルの奇跡》 マタイ17:24
彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った。
「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか。」
ペテロは、「納めておられます」と言った。
そして彼が家に入ると、イエスから先に話しかけて言われた、
「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか。」
ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、
「それでは、子は納めなくてもよいわけである。しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい。」
(参考文献:新キリスト教辞典、バークレー注解書、ウィキペディア)
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